これが正統派「八幡鳥居」です。立派な構えです。旧名は「正八幡若宮八幡宮」。1985年(昭和60年)、台風の被害により社殿は大破し、現在の社殿はその後再建したものである。また、台風被害の翌年から「蒲生八幡神社」と改名した。社殿前右手は地元の小学校。



鹿児島県姶良郡蒲生町にある『蒲生八幡神社』  鹿児島では有名な八幡神社ですが隣接する「鹿児島神宮」とは違い、こちらは「宇佐八幡宮」からご勧請された、宇佐系の八幡宮です。 地元の領主、蒲生氏の領地で1123(保安4)年、蒲生家初代の上総介舜清が宇佐八幡を勧請して創建。1618(元和4)年に、島津義弘が社殿を再興したといわれる。歴史はかなり古い。 こちらは何といっても「特別天然記念物の大楠」であります。 崇敬者多く、地元の憩いの場であり観光の目玉でもあります。 余談ですがこちらの宮司さんの息子さんがかなりのイケメンです。




<八幡神の御神徳> 「文化の神様」 「安産の神様」 「自立自興の神様」八幡神は古来から『武家の神様』として戦の必勝祈願など江戸時代以前の戦国の世の中では大変信仰の厚い。

ご社殿も崇敬者多くお手入れもきれいにされております。なんともまばゆい朱色です。 

御簾には八幡神特有の「三つ巴」御神紋があるのですが、賽銭箱にはなぜか八坂神社(牛頭天王)の「五瓜唐花」が。祇園神との関連があるかは不明ですが創建当事から正統派「八幡神社」のはずなのですが。不思議です。




 






蒲生八幡の名物と言えばこの「大楠」です。公的には樹齢1500年と言われていますが3000年を経過しているという説もあり、日本ではもちろん、東南アジアを含めても最大クラスのクスノキであろうと思われます。
 蒲生八幡の創建が保安4年(1123)2月21日、蒲生院の総領職であった蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけしゅんぜい)が、豊前国宇佐八幡神宮を勧請したとありますので
今から880年以上も前ですがこの時にはすでにこの「大楠」はあったわけです。
大楠の樹齢は公証でも1500年ですから少なくとも創建当時でも700年以上の古木であったわけです。実際、御参りするとわかりますが確かに日本一の楠として貫禄は十分です。その様子は、まるで「ジブリ」作品にでてきそうな『大楠』(おおくす)です。まさに年輪を感じます。この大木には下部に空洞があり人1人が住めるほどの広さがあります。




幹周 23.3m
樹高 27.5m

樹齢 伝承1500年

国指定特別天然記念物