宇佐辛嶋氏は渡来系氏族でありその出自は秦氏であると言われています。
八幡社の総本社「宇佐神宮」の創建に大きく関った氏族です。八幡と言う字は「やはた」と読むことも出来、宇佐からそう遠くない福岡県北九州市の地名にもなっている。
八幡は八つのハタ(秦)=秦氏の八部族と考えることもできる。武運長久の祈願神であることもあり「矢幡」(やのはた)との意味もあるとも。
八幡神自体が辛嶋氏を含む秦氏系渡来人の氏神様であるのです。
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私の産土神である「鹿児島神宮」は記紀の「海幸山幸」の「山幸彦神」をお祭祀する皇系の神社であると当時に正八幡あるいは(大隅正八幡)といわれる八幡社でもある。
これについては古より「八幡本家争い」として鹿児島神宮史や宇佐神宮史によって顕されている。
《鹿児島神宮史》
「宇佐から十五人の使者が来て、いずれかが正八幡宮であるかを調べて遂に当宮に火を懸けた。ところがその火は七日七晩の間燃えて、煙の中に正の字が現れた。これを見た宇佐の使者も鹿児島神宮が正八幡宮であると認めて帰ったが、その中の十三人は途中で死んだ。それが十三塚原である。他の二人は宇佐に帰り、よく物を云うことが出来ず、ただ、手真似をして絶命した。皆神罰を被ったのである。」
また宇佐神宮は御神体を「御許山」(おもとやま)にしており、三巨石を祀る「石体権現」があり八幡信仰以前から祭祀されていた。鹿児島神宮の元宮とされる「石体神社」(しゃくたいじんじゃ)とのかかわりもあるのではと思われる。
参考出典:Hayato.com 石体宮 |
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