管理の地元である鹿児島県姶良町に御鎮座されている「帖佐八幡神社」です。島津義弘公と大変御縁の深い神社であります。小高い山の上に神社がありますが、このお山の麓にはこの義弘公の屋敷跡があります。現在では「(高麗)稲荷神社」となっております。

 弘安5年(1282)に平山了清が京都八幡の「石清水八幡宮」から御勧請したといわれ、関ヶ原出征の際、島津義弘公が武運を祈願しました。その戦時前には必ず戦勝祈願をされたとされ、義弘公の崇敬する神社のひとつであります。

 毎年10月〜11月の正祭には浜下り神事が行われます。また、社殿前の大銀杏は、樹齢数百年といわれ高さ14.5m、樹幹目通り7.1m、根回り11.4mあります



 参道は厚い苔に覆われてまして、自然のクッションになっています。

 御拝殿です。森の中の鎮守神であります。こちらで、義弘公も御祈願されました。境内内の大銀杏(下映像)の枝に覆われています。


 左は前出の大銀杏です。これが樹齢数百年の大銀杏です。右は御由緒です。















  年上記のようにこちらの御祭神は京都の石清水八幡宮から御勧請された神社である。同じ九州の地であり総本社である「宇佐神宮」からではなく、その御分霊である京都の石清水八幡からわざわざ御勧請されたかということと、
鹿児島神宮の「正八幡宮」に対しての「新正八幡宮」といわれていた事については今後、追記いたします。